今朝もベランダの植物たちに水をやるべくガラス戸を開ける。それと同時に、カーテンレールに下げた釣鐘形の鈴が鳴る。大きくて澄み切ったその音は、長い余韻を残して消える。

 長年、引き出しの中で眠っていたこの鈴を取り出して吊るしたのは、夫が亡くなった12年前のことだった。一人になった寂しさからだったのか。それとも、私たち家族4人が最も輝いていた頃のことを思い出しながら晩年を送るのも悪くないと思ったからなのか。そして、何よりも、「もし、この鈴がなかったら、その輝きは一瞬にして消え去っていたかもしれない」との想いを新たにする意味もあった。

 この鈴を買ったのは、今から50年ほど前のことだった。一家4人で横浜へ遊びに行ったとき、店先で華やかな音を立てているのを聴いた私は、すぐに買い求めた。

 娘は4歳、息子は1歳半になっていた。一家4人、毎日が輝いていた。

 そのとき住んでいたのは古い官舎で、あちこち建て付けが悪く、廊下を歩けばギシギシと音がしたが、どの家にも広い庭があった。夫は子どもたちが安全に遊べるようにと、庭の周りに垣根を作り、庭に芝生を植えた。私たちは、手入れの行き届いた芝生の上で子どもたちと遊んだ。

 私は毎朝、水道に繋いだホースで芝生の水やりをした。子どもたちはその水に濡れまいとして、キャッキャっと言いながら逃げ回った。

 子どもたちが障害のある母親を引け目に思うことのないよう、近所の子どもたちを家に呼んで一緒に遊んだりもした。毎晩、子どもたちの寝息を聞きながら、「この幸せが、ずっと続きますように」と願って、私も眠りについたものだ。子どもたちを連れて、両方の実家へも度々遊びにいった。そこでも、彼らは祖父母から精いっぱいの愛情を注いでもらった。

 そんなある日、私は息子と近所を散歩していた。いつもはキュッキュッと音のする靴を履かせていたが、その日は、彼の上着の袖に横浜で買った鈴を付けてみた。そうすれば、彼が歩くのをやめたとしても、鈴の音で、全盲の私にも彼の居場所がわかると思ったからだ。

 近所に電車の踏切があった。普段、踏切のほうへは行かせないように気を配っていたが、どうしても行きたいと言うので、しっかり手を繋いだまま、そちらに向かった。ところが、警報機が鳴り始めたとき、電車の大好きな彼は突然、私の手を振り切って、どこかへ行ってしまった。必死に名前を呼んだ。周りにも助けを求めたが、なんの反応もなかった。一瞬にして、後悔の念に打ちのめされた。なぜ、手を離してしまったのか。なぜ、これまでの輝きを一瞬にして消し去るようなことをしてしまったのか。

 そのとき、あの鈴の音がした。警報機より3オクターブは高く、警報機より澄んだ鈴の音が。

 遮断機をくぐろうとしていた息子を抱き上げた直後、轟音とともに電車が走り抜けていった。

 もし、あのとき息子を救えなかったとしたら、今の私はどうなっていただろうと思うことがある。自分の障害のせいで息子を救えなかったとの想いを、一生涯引きずりながら暮らすことになったかもしれない。

 息子が4、5歳になった頃、この鈴は机の引き出しにしまわれ、その後、何度かの引っ越しを経て、数十年ぶりに日の目を見ることになった。よく無くならずにいてくれたものだと思う。

 今日も、一人の部屋に50年前と変わらない音が響く。「もうしばらく、私と一緒にいてね」と語りかける。

 

鈴の余韻とともに、過去を懐かしむ筆者
鈴の余韻とともに、過去を懐かしむ筆者

 

毎日新聞社発行「点字毎日」(活字版・点字版)に掲載