今年2026年は、60年に1度の丙午(ひのえうま)の年に当たる。「丙午に生まれた女は強くて怖い」という例の迷信が、今年に入ってからよく聞かれるようになった。60年前の丙午の年には、もっと騒がれたように思う。まして、さらに60年前の明治39年は大変な騒ぎだったに違いない。その年の生まれで、盲学校の中学部の3年間、私たちのクラス担任だったG先生は、親たちから「丙午の女」と呼ばれ、怖がられていた。
G先生は、家庭科の先生でもあった。授業、特に実技は厳しくて怖かった。私たちは、迷信とは知りつつも、親が言うように、「丙午の女って怖いんだ」と思うようになった。あまりにも実技の出来が悪かったりすると、親が呼び出され、家庭での躾(しつけ)について注意されたりした。まだ、電話のない家が多かった頃のことだ。後で知ったのだが、高等部に進むと、カリキュラムから家庭科の実技がなくなり、講義だけになるので、中学部のうちに、何とかして社会人としての生活術や常識を身に付けさせなければとの思いが、先生にはあったようだ。
実技は、衣食住全般に渡っていた。「衣」に関しては、糸通し器の使い方や、ほつれ直しや、ボタン付けなどはもちろんのこと、「日本人なら、常識として和服の構造くらい知っておいたほうがいい」とのことで、新聞紙を切って張り合わせた実物大の長い反物で浴衣を作ったりもした。作り方については、今ではよく覚えていないが、和服の構造の合理性、そして、形が単純だからこその美しさに感心したものだ。Aさんは、畳などに針を刺して固定することで、糸通し器など使わなくても糸を通すことができた。これには、さすがの先生も驚いた。
洗濯板で洗濯をし、マッチでガスに火を付けて料理をした。出来上がった料理は、みんなで家庭科室のテーブルで食べた。「男もこんなことしなきゃいけないのかなあ」とのヒソヒソ話が先生の耳に入ったとき、先生は言った。「これからは、男も家事ができないと困るからね」と。
ほうきの使い方、ガラスの磨き方、そして、なんと!実物大のゴム人形とタライを使っての赤ん坊の入浴の実技。あれは何だったのだろう。私には、確かにその記憶が残っているのだが……。お飯事(ままごと)であるはずはないし。私たちの先々のことまで考えてのことだったのだろうか。
見えないと、見様見真似ができないということで、ナイフやフォークを使ってのテーブルマナーの勉強のために、レストランへも連れていってくれた。本当は、テーブルマナーというより、戦後まもないあの頃、ろくなものを食べていない私たちを喜ばせたいとの思いもあったのだろう。ピラフ、ポタージュ、ゼリー、生クリーム……。それらを初めて口にして喜ぶ私たちを見て、先生も喜んでいた。あのときの支払いは先生の自腹だったのだろうか。きっと、そうだったに違いない。
若くして連れ合いを亡くした先生には、私たちより少し年上の子どもが3人いた。彼らが通う高校の文化祭にも、私たちを連れていってくれた。1クラスが10人にも満たない盲学校の生徒に、大勢によるコーラスや演劇を鑑賞させることで、私たちに広い世界を感じてほしいとの思いからだったのだろう。
先生が98歳の頃、私たちは先生を招いてクラス会を開いた。お開きになる頃、誰かが「先生、また会いましょうね」と言うと、先生は「はい、天国でね」と言った。深い愛情に満ちた「丙午の女」の訃報を聞いたのは、その1年後だった。
「点字毎日」(活字版および点字版)に掲載