蕪村の名句「月天心貧しき町を通りけり」を知らないという愚息に、「どういう情景を描いた俳句だと思う?」と聞いてみた。即座に答えが返ってきた。「素晴らしい句だね。空の中央にあった真夜中の月が少しずつ西のほうへ移動していく。そうやって、月は愛情と哀れみを持って貧しい町を照らしながら通り過ぎていく」。これを聞いて私は絶句した。そんな発想があろうとは!町を通っていったのは蕪村でなく月だというのだ。もしかして蕪村自身もそういうつもりで作ったのだとしたらどうしよう。そういう解釈をするのが一般的だとしたら・・・。いや、そんなはずはない。町を通っていったのはお月様ではなく、涙もろくて繊細な蕪村おじさんに決まっている。

真夜中、低い屋根の貧しい家が立ち並ぶ月明かりの町を、人生への思慕とやるせなさを抱えて蕪村が一人歩いていく。私は長年そう思ってきた。なぜなら、もし、そんな上から目線の愛情や哀れみだったら、この句に人生への愛惜など感じられないからだ。「お月様が哀れみを持って空から見守ってくださっている」という月並みな感傷になってしまう。路地の片隅では侘しげにコオロギなんかが鳴いていたり、暗がりには貧しい食事を思わせる食べかすなどが散らかっているかもしれない。でもお月様はそんなことには気がつかないから、やるせなさに溜息をつくこともない。この句では月は情景にしかすぎず、主人公はあくまでも蕪村自身なのだ。

私はサユリストやハルキストを真似て、自分のことを密かにブソニストと名乗っている。高校生の頃、萩原朔太郎の『郷愁の詩人 与謝蕪村』を読んだのがきっかけで蕪村が好きになり、以来そう名乗っている。仮にもブソニストを自称する私としては、たとえ数分間とはいえ、ありえない解釈へと傾きそうになった自分を恥じた。「的外れな解釈だけど、この句を知らなかったにしては、そんな解釈が瞬時に出てくるなんてたいしたもんだね」と、嫌味たっぷりに愚息を褒めてやった。そして正しい解釈を伝授してやった。愚息は「ふーん」とひと言発して電話を切った。今から思えば、その「ふーん」には納得がいかないなあというニュアンスが込められていたのかもしれない。

それから数年後、私は知った。この句にはもう一つの解釈があり、それは愚息のものと同じだというのだ。しかも、どちらも同じくらいの支持を得ているという。その解釈とは、「月が天空を通りながら貧しい生活を照らしていくというほうが絵画的で、画家でもあった蕪村の意図するところである」というもの。埋もれていた蕪村を再び世に出した正岡子規は蕪村を「写生派の俳人」と言ったが、朔太郎はそれに真っ向から反対し「郷愁の詩人」と呼んだ。そして、それは多くの支持者を得た。しかし、現在では、何でも郷愁に結びつけようとする朔太郎の解釈に反対する人が出てきて、子規支持者が増えているらしい。私は子規の書いたものは何も読んでおらず、いきなり朔太郎の名文にはまってしまい、江戸時代にありながら近代的でロマンチックな青春の感性を持つ蕪村おじさんのファンになってしまった。ところが、あれから半世紀以上経った今、知らぬまに世の中の蕪村観は変わっていたのだ。悔しいけれど愚息にひと言謝っておくことにしよう。

それでも、朔太郎の蕪村観のほうが正しいと信じている私は、ブソニストの名を返上する気はない。朔太郎の甘い麻薬にはまってしまった私は、これまで通り、ふとした瞬間に、蕪村の愛すべき俳句たちを酔い心地で思い浮かべることだろう。

 

(点字毎日活字版2019年8月15日号、点字毎日点字版2019年8月11日号、掲載)