静岡県知事・川勝平太(かわかつ・へいた)氏が、農業従事者の知性に対する差別発言をしたことで批判を受け、知事を辞めた。このニュースに接したとき、10年ほど前に知り合いから聞いた話をふと思い出した。

 それは、ある視覚障害者協会のイベントに招かれた区長が、会員の前で挨拶(あいさつ)したときの言葉だった。「すみません。目の見えない方の前で横文字なんか使ってしまいまして」。その横文字とは「レクリエーション」とか「コミュニケーション」とかの類だったと思う。区長が帰った後、そこにいた人たちは「しょうがないなあ。区長と言えども、あの程度の認識なんだろうな」と言って笑ったそうだ。

 同じ差別発言でも、一方は何のお咎(とが)めもなく、一方は辞職。だが、川勝発言が知れ渡った今なら、そのような発言をする区長を果たして辞任にまで追い込むことはできるのか。

 また、川勝氏は県の職員の前で言ったのであり、当事者たちの前で言ったわけではない。一方、区長は当事者である視覚障害者の面前で、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく謝ったのだ。目が見えなければ知識がないのは当然で、そのことに配慮しなかった自分が悪かったのだと。だから、川勝発言より、こちらのほうが問題なのではないだろうか。

 これらの件に限らず、いろいろな点で視覚障害者が不当に低く見られていることは、当事者であれば日々感じていることと思う。それは、ある程度、無理からぬこととも言える。突然、目を閉じたりアイマスクをしたりすれば、周りの状況もわからず、身動きが取れなくなる。何もわからなくなり、何もできなくなる。想像力に欠ける人は、これが視覚障害者の世界だと思ってしまう。視覚障害者は何もできず、また、知識を得る手段もほとんどないから、何も知らないのだと。

 「情報の80%は目から」というフレーズが広まっている。昔から、眼鏡や目薬の宣伝に使われ、眼科病院のホームページにも書かれている。そのことが、「目の見えない人は、見える人の20%しか知識がない」という短絡的な解釈に拍車をかけているように思う。

 あるサイトには次のように書かれていた。「人間の五感による知覚の割合は、視覚83%、聴覚11%、嗅覚3.5%、触覚1.5%、味覚は1%といわれています。つまり、人間が受け取る情報のうち、8割は視覚からのものなのです」

 視覚障害者が、触覚や聴覚によって、点字や普通文字の読み書き、パソコンや携帯の操作、その他、仕事や日常生活での多くの作業をこなしていることから考えても、この数値は視覚障害者には当てはまらないことがわかる。 また、字幕も音声解説もない普通のテレビドラマでは、画像を消した場合と音声を消した場合と、どちらのほうがストーリーがわかるだろうか。データの大きさで比べれば、画像データのほうが音声データより圧倒的に大きいかもしれないけれど、会話や音楽や物音のあるほうがストーリーがわかり、ドラマを楽しむことができる。

 先ほど引用した人間の五感による知覚の割合は、データ量としての割合であり、しかも健常者にとっての割合なのだ。あの区長さんも、「情報の80%は目から」を肝に銘じながら、挨拶に臨んだのかもしれない。

 ああ、それにしても、もう、そんなことで頭を悩ませるような年齢ではないはず。人にどう思われようと、人生の最後をゆったりと過ごしたいと思う。

 

毎日新聞社発行「点字毎日」(活字版および点字版)に掲載