以下は、2005年9月16日に、日本ユニシス本社で行われた「日本ユニシスグループ ロビーコンサート 〜 塩谷靖子 with 東京シティフィル 〜」での塩谷靖子による講演です。

テープ起こしは、日本ユニシス株式会社 CSR推進室の小原孝子さんによるもので、同じ内容がユニシスの社内向けサイトに掲載されました。

今度は歌でなく、少しお話をさせていただきます。

私は、お手元のプログラムのプロフィールにも書いてありますが、三十数年前に、このユニシスで仕事をさせていただいたことがあります。

当時はユニバックといっていました。今は赤坂からここ豊洲に移転したわけですけど、青春時代の一時期を過ごした同じ会社で歌わせていただけるというのはとても光栄です。

当時はこれからどういうことが待っているのだろうかというわくわくした気持ちと、私にこれからいったい何ができるのかなという悩みが入り混じったそんな時代でした。

今こうやって時々ステージで歌わせていただいていますけども、実は歌を始めたのは42歳の時で、その時初めて先生についたんです。

私は幼い頃に全盲になりまして、小学校1年からずっと盲学校で過ごしました。

そのころは、「将来、音大に行きたいな」という夢もあったのですが、うちは音大に行かせてもらえるような経済状態でもなくて、ピアノも買ってもらえなかったのでそれはあきらめて、高校を卒業してから、理療科といいまして鍼やマッサージを教える課程に入りました。

その頃、既に毎年盲学校から音大に行く人もいまして、とってもうらやましかったのを覚えています。

三年間そこで勉強し免許もとったので、最低限度の生活を保障されたといいますか、一応安心ということで、私の両親も「しばらく好きにしていい」と言ってくれたものですから「それでは私も大学に行ってみようかな」と思ったわけです。

何を専攻するかということですが、私は数学はずっときらいで高校一年くらいまで別に興味もなかったのですが、高2、高3と微積分という概念がでてきた頃から今までの数学と違う神秘性とか美とかそんなようなものを感じたんだと思うんですけど、それで数学をやってみようかなと思いました。

一年間受験勉強をしたのですが、受験勉強らしいものは初めてだったのでとても大変でした。

当時も既に毎年、盲学校から普通の大学に行く人はいましたが、理数系の学科で点字受験させてくれるところはほとんどなかったのです。

そして、結局、点字受験を受け入れてくれた東京女子大に入りました。とても大変なこともありましたけど、いい友達もできたしとても楽しい四年間でした。

数学という壮大な学問の、ほんの、ほんの少し垣間見たという程度のことなんですが、数学って奥深いんだな、ということも学びました。

卒業してから、ユニバックが初めてのケースとして視覚障害者を使ってみようかということを言ってくださいました。

私も、いったい何ができるのだろうという感じで、お互いに手探り状態でしたが、とりあえずFORTRANグループというところに入れてみようかということになったようです。

FORTRANというのは、当時、結構、理数系のプログラム言語として使われていました。

私も大学時代に数値解析でFORTRANでプログラムを組んだことがあるというただそれだけのことなんですけど、それでFORTRANグループというところに入れていただきました。

その当時のコンピューターというのは今とは似ても似つかないもので、一億円くらいするマシンがマシンルームに空調と一緒に入れてあるという、そういう状態でした。

入力はパンチカードにキーパンチャーの方が穴を開けてくださったものを、コンピュータに入力するという方式でした。

もちろん、その当時は視覚障害者用の補助機器というものは皆無でした。

最低限、読むべき手段がないとどうしようもないので、まずプリンターで印字される普通の文字を点字で打ち出すための点字変換ソフトを作ろう、ということで、皆さんに協力していただいて作りました。

当時協力してくださった方々も、今日のコンサートに来てくださっているようで、懐かしい気持ちでいっぱいです。

点字専用のプリンターを開発するには時間とお金がかかるので、プリンターはユニバックで使われていたラインプリンターをそのまま使うことにして、ソフトだけで点字を打ち出すという方式でした。

話が細かくなりますが、皆さんご存知のように点字の1文字というのは、縦3行、横2列の6個の点の組み合わせでできています。

6個の点の一つ一つが、あるか、ないか、の組み合わせですね。これで、2の6乗イコール64通りの文字が表わせます。

余談になりますが、実際には64通りでは足りないので、例えば2文字を1つの記号と考えると、64×64通りの組み合わせができるので、日本語だけでなく楽譜や外国語や数学記号などたくさんのものが表せます。

話を元にもどして、では、ユニバックのラインプリンターでどうやって点字を表すか、ということですが、さっき申し上げましたように、点字というのは、縦3行横2列の6点でできています。

ですから活字の3行、2列の6個のピリオドを使って点字の1つの文字を表すというふうにソフトを考えたわけです。つまり、点字の1文字を表わすために6個の活字を使うわけで、同じ内容を点字で打ち出すと6倍の紙スペースを取ることになります。もっと細かいことをいいますと、実際には点字の文字間に3行1列の空白を入れ、行間にも1行分の空白を入れなければならないので、結局12倍のスペースを取ることになります。

このように、活字のピリオドだけを使ってソフト的に点字を構成してプリントアウトするわけですが、このようにして点字を紙に打ち出しても、単に黒いインクで点字の形が印字されるだけで触ってもわかりません。

わかるようにするには、黒い点の部分が、例えわずかでもいいから浮き上がらなければなりません。そこで、紙とハンマーの間に、デニムという厚手の木綿の生地を1枚はさむことにしました。

つまり、ハンマー・デニム・紙・インクリボン・活字ドラム、という順に並ぶわけです。

活字ドラムは円筒形をしていて、その円周に、アルファベット・数字・ピリオドなどの記号、といった活字が浮き出しています。

例えば1行の文字数が130字なら、この活字の輪が130個あることになります。ドラムは高速で回転していて、印刷すべき文字の活字がちょうど来たところで、ハンマーが動きインクリボンで文字が印刷されます。このとき、デニムがはさんであれば、点が押し出されるので、インクが付くのと反対側の面に点字が浮き上がるわけです。

このようにして打ち出した点字はかなり大きくて読みにくかったのですが、ラインプリンタをそのまま使用しているので、それはしかたがないことで、また紙も点字専用でなく、薄いプリンター用紙をそのまま使ったので、とても読みにくかったのですが、でも、これで読めるものができた、ということでとてもうれしかったのを覚えています。

いざ印字するとすごい速さで点字が打ち出され、とても感激しました。

皆さんの協力があり、楽しく開発できました。コンピュータによって点字を紙に打ち出したのは、日本ではこれが最初のものです。

プログラムを組むのはどうしたかというと、当時は今のように音声や点字で確認できるワープロもなかったので英文タイプで書きました。

英文タイプで書いても自分で書いたものが確認できませんので、あらかじめ自分の読める点字で書いておいて、それを読みながら英文タイプで書くという方式でした。

そして書いたものをキーパンチャーの方に渡してカードにしていただきました。

こうやってお話するだけでは、なかなかおわかりいただけないと思いますので、今日は30年前に紙に打ち出したものを押入れから引っ張り出してもってきました。

ご興味のある方はあとでごらんになっていただきたいと思います。

最初の仕事は、なぜかコンピュータ会社なのに事務の仕事は手作業で行われていたので、それをプログラム化するという仕事でした。

いきなりこんないい仕事をやらせていただいてとても光栄でした。

事務のおじさまがたが「こういうふうにしてほしい」という注文をいろいろと下さってそれをもとにプログラム化したのですが、だいたい二千行ぐらいのプログラムになりました。

それはとても楽しい作業でした。

私が退社してからも5〜6年はそれが重宝に使われていたということをあとで聞いて、とてもうれしかったのを覚えています。

会社の仕事というのはみんなと連携してやる仕事がほとんどだったのですが、私の場合他の人の資料を見ることができないので、結局、自分ひとりだけでできる仕事ということになります。

さて何をしていいのか、会社の方もとても迷われたと思うんですけど、既にあるプログラムでドキュメント類がなく、中身が全然わからないものに対し「もしクレームがきた時にどうしていいかわからないから中身がわかるようにしてほしい」と言われ、それをさきほどの変換プログラム、当時はブレイルトランスレーターという名前をつけたのですが、それで変換して打ち出して中身を把握してドキュメントを書くという仕事をしていました。

他の社員の方達はユーザーさんのところにでかけていって、バグを処理したりいろんな注文を聞いたり、外に出られることが多かったのですが、私はそれができないので、会社に残っていることが多かったです。

会社にいると、ユーザーさんが廊下を歩いてこられる足音がするんですよね。

私のところに来られると困るなと思って、通り過ぎていかれるとほっとしました。

でも、足音が私のところで止まって、出力したものを持ってこられて、「ちょっとこれを見ていただけますか?」とか言われると、私は困って「申し訳ありません」と断るんですけど、そういうことが続くと、私はこのままここにいてもご迷惑かけるだけだ、自分にとっても会社にとっても、もう断念したほうがいいのではないか、という気持ちにだんだんなっていきました。

結局、ハードは既存のものを使ってソフトだけで対応するというのがそもそも限界だったんですけど、まあ、私にもうちょっと能力とやる気があれば何とか開拓できたのかもしれないのですが、私としてはもうこれ以上いては迷惑をかけるばかりだと思うようになりました。視覚障害者のパイオニアとして何とか頑張ろうという気もあったんですが、結局は断念しました。

実は会社に入るころから私は結婚していたのですが、主婦業に専念するか両立するか、私は両立していこうと本当は決心していたんですけども、この際断念しようと思って、二年めに会社をやめました。

現在では、視覚障害者の情報処理環境というのは本当に隔世の感があります。

点字専用のプリンターもありますし、画面読み上げソフトといって、パソコンは普通のパソコンを使うのですが、専用のソフトもあります。このソフトは画面を読んでくれるのですが、ただ読んでくれるだけではなくて、どういう漢字が使ってあるかということも詳細にキーボードで調べられます。

それから自分で打ち込んだものもちゃんと確認できます。

私が昔英文タイプライターで確認できなかったものが、今は確認しながら書くことができます。

そのようなソフトが世界中で開発されています。

それから、視覚障害者のプログラマーもでています。そのようないろいろなハード・ソフトを開発してくださった方にとても感謝しています。

私たちはマウスは使うことはできないので、全部キーボードでやっています。

キーボードからメールの送受信もできるし、インターネットで調べたいことがあれば検索して調べたり、新聞を読んだり、昔と比べて隔世の感があります。

音声だけでなくて、ピンディスプレイといいまして、自分が打ったものや画面に表示されるものを点字で表す機器、ピンの浮き沈みで点字が出るのですが、そのような機器もあります。

ただ、私たちがそういう情報機器を使いこなすのは健常者と比べて結構めんどくさいんですね。

ちょっと熟練がいるので誰でもというわけにはいかなくて、やはり使える人というのは限られています。

ですから、もっと簡単にできるソフトができて、もっとたくさんの人たちが恩恵をうけられればいいなと思っています。

というわけで、もしよろしかったら今日の感想などを私のホームページからメールくださればお返事もさしあげられますので、よろしくお願いします。

退社後、家事育児のかたわら盲学校の非常勤講師をやったり大学受験の添削などをやりました。

添削といっても、送られてくる数学の答案をお手伝いの人に読んでいただき、私がコメントしたものを書き込んでいただくという非常に大変な仕事で、これは長続きしませんでした。

そうやっているうちに、42歳の時に、アマチュアの人たちがピアノを弾いたり歌を歌ったりするサロンコンサートがあり、そこでたまたま私が歌っていたのを音大の先生がきかれて「歌をやってはどうか」といわれました。

私も半信半疑で始めてみました。

最初は年に1回の門下生の発表会に出られればいいなという程度でした。

まさかステージで歌えるようになるとは思っていませんでした。

現にコンサートに行くとみんな音大出身の人ばかりですし、点字の楽譜も市販されているものは少ないので点訳をしていただかなくてはいけないし、ですから私にはステージで歌うということは縁がないことだな、と思っていました。

そのうちに「コンクールに出てみないか」という話があって出ているうちに、まあ、なかなか年齢制限で受けられるものも少ないんですけど、入選したり入賞したりするようになりました。

なぜ私がそういうことになったか、たぶん審査員の先生としては、テクニック的には音大出身の人にかなわないと思うんですけど、年の功による表現力といいますか、そういうことを評価してくださったのではないかと思っています。

40過ぎてから始めた歌ですけども、今こうやって歌わせていただいているということはとてもありがたいと思います。

もうこの年ですからいつまで歌えるかわかりませんが、もうしばらく歌わせていただければな、と思っています。

ではこれで私のつたないお話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。